なぜあの人はたちはそんなに怒るのだろうかと理解できないし、
それを消化できない自分に責任を感じてしまい、押しつぶされてしまう。
まあ、どうぜ自分はアスペですよ!みたいな冗談でかわしてる。
でも、そんな冗談でもきかないときは、泉谷さんの言葉でこころの構造を考えてみよう。
怒りとかの感情の原理が分かれば多少は落ち着くかも。
「怒る人」、「うつになる人」はどちらもこころの構造が似ているという指摘はちょっと感動。
確かに似ている、と思ってたけどこの点を言う人がいなかった。
結局は、自分のやるせなさをどういうふうに解消するのかの違いでしかないのだと思った。
自分もそうだけど、責任感だけが強すぎる人はあんまよくないな、と思った。「普通がいい」という病 泉谷閑示
この本の前提としては下記に注意。
まえがきを読まないと泉谷さん意図が見えないと思う。
・・・私はこの問題を社会的な問題として考えたいのではありません。
社会制度上の問題をいくら解決したとしても、個々の人間に浸透してしまっている基本的価値観のところが変わらない限り、モグラ叩きのように、問題は別のところから形を変えて噴出してくるだろうと思うからです。
私たちが取り組まなければならないのは、人間という生き物の根本的な特性を深く理解し、その上で「自分で感じ、自分で考える」という基本に支えられた生き方を回復することです。
・・・実際の臨床場面である時ふと浮かんだキーワードや説明のイメージ、講演や講義の最中にふと口をついて出た言葉、そんなものの集合体です。
<下記はごちゃごちゃした感想になってるので、後日書き直しの予定!>
<優しい言葉を使ってるが現在の社会制度に切り込んでいていいこと言ってるけど、私にはよく理解できなかった・・・>
たぶん泉谷さんは、体系的に整った根拠を持つような話しでは無いが、人間らしさの回復のために、
こんなこともできるんだよ、的なことを伝えたいのだと思います。
ただ、新しいものの考え方は乱暴な理論だったりすると思います。
現場の事実だけを積み重なると理論が破綻していたりします。
でも、それが真実。
そういうときは、理屈も証拠もないけど、まぎれもない真実なので、まずは発表することが大切だと思います。
しかし、学会の人たちや聴衆はあざ笑うことは間違いないし、変な人というレッテルを貼られてしまう。
それを覚悟すること。
耳に聞こえのいい話しをしても、新しい境地は開けないし、成長から遠ざかるばかり。
このような現状で、うつ病として診断されて不安になる人々に少しでも救いにあんればと思っているのだと思います。もしくは、そういう社会のあり方に一石を投じたいのだと思います。
あとこちらも。
クスリに頼らなくても「うつ」は治る
内容は似ている箇所があるのでどっちか読めばいいかも。
でも、「社会組織に適応することは麻痺すること。適合者が正常なのかは何とも言えない」
みたいな意見だけを見ると、普通に働いている人には受け入れらないと思う。
こういうのはこころについて学んでいないと、反社会的でパンクに感じるのかも。
「困難から逃げるのはネガティブではない。何も考えずに休むのが重要。」みたいなのも
うつについて学んでいないと拒否してしまうかも。
「生きる意味」みたいな悩みを正面から捉えようとしている。
「生きる意味」が人生の主題になってきているので、こういうことを心理学でやらないと
意味ないじゃん、みたな感じで。
よく言われるように、戦後とバブル期は仕事を生きがいにすればそれで良かった。
でも、それ以降は生きがい探しが必要になった。
でもいまだに、仕事一辺倒な人間のあり方をもとめる社会が「うつな人」を作り続けている。
たぶん、そんな感じ。
「せめて面倒なことは最小限にして、少しでも楽な人生を送りたい」
この一文がすごく納得いきました。こういう行動原理なのだと思うと、こちらもやりやすいかも。
自分の経験だと、職場の新人さんやお客様でなかなか理解しづらい方がいらっしゃいます。
どういうこころの構造で、そういうリアクションになるのか分からない。
でも、泉谷さんの考え方で納得。
がんばりだ足りないとかそういう捉え方では理解できない。
がんばりだ足りないとかそういう捉え方では理解できない。
重要な問題として正面から向かうべきだと、自分の考えを改めました。
多様化が求められる時代こそ、人間のこころの構造を知ることが一番重要なのではないかと思う。
経済の高度成長期なら単一の価値観の社会が効率的だったのは分かる。
でも今はそうじゃない。
ばらばらの価値観でないと経済が成長しないし、社会がやってけない。
過去を捨てるのではなく、新しい解釈を混ぜながら、将来を作るにはどの方向が良さそうなのかを考えていきたい。
「そんなの常識」で片付けてしまうには足りないのだろうと思う。
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